有馬温泉の歴史

有馬温泉は、温泉神社の縁起によれば「大巳貴命(おおなむちのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」の神々によって発見されたと言われています。

二神が有馬を訪れた際に、カラスが水たまりで水浴をしていたところ、後日その傷が完治していたことから、水たまりは温泉であったと伝えられています。怪我を負っていた三羽のカラスたちは有馬に住むことを許され、「有馬の三羽からす」と呼ばれ、有馬のシンボルとして語りつがれています。

神代から時を経て、歴史上初めて有馬の存在が世に知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593~641年)から第36代孝徳天皇(596~654年)の時代です。

日本書紀における「舒明記」によれば、舒明天皇は631年、9月から12月までの3ヶ月間を温湯宮に立ち寄って入浴を楽しまれており、「釈日本紀」では孝徳天皇も10月から大晦日までの82日間、温浴に立ち寄られたと記されています。

650年の孝徳天皇の時代が終わると、有馬温泉は徐々に衰退していったと言われていますが、これを再興したのが僧侶・行基でした。有馬温泉に堂を建立し、多くの人が名湯を求めて訪れるようになりました。

その後平安時代に入り、多くの天皇や重臣などが有馬を訪れ、各文献の中に有馬の名が登場するようになりました。かの清少納言も有馬温泉を枕草子の中にしたためており、高い評価を得ていたことが分かっています。

1087年には有馬に洪水が起き、人家や温泉が壊滅したとありましたが、仁西(にんさい)という僧侶がお告げにしたがって有馬を訪れ、復興を成し遂げました。温泉は無事再興され、12ヶ所の宿坊が造られ、室町から戦国までの戦乱期にも多くの入浴客で有馬は賑わっていたということです。

1583年には、天下統一の見通しが立ったということで、豊臣秀吉が有馬を訪れ、お湯を楽しんだと言われています。秀吉は大変有馬を気に入り、大規模な改修工事にも着手しています。

江戸時代に入ると有馬はさらに繁栄し、12の宿坊は20に増え、旅館として機能するようになっていました。さらに坊の下に「小宿」と呼ばれる宿舎も造られ、宿泊施設が発達していきました。

江戸時代の後半になると、一般庶民も湯治に出かけるようになりました。かつては天皇や重臣などが中心であった湯治客も、時代の変遷とともに町が整備されると、庶民の憩いの場として発展していくことになりました。